心象風景

* 算命学による宿命鑑定 *

おひとりおひとりの心に寄り添い、一歩前へ進むためのエッセンスをお伝えしています

ひとの心はひとのもの

 

何か願いごとを「神様に委ねる」と言うと、

自分では努力ひとつせずにただ口を開けて待っているだけ、と捉える人がいる。

たしかにそういう形の受け身の人もいるだろうが、

少しでも宇宙のしくみを知った人が取る受け身の姿勢とは、

自分でできる限りのことを試み、努力し、

しかしその結果は神様の決めることとして天に委ねる、というものだと思う。

願い、祈ってはいるが、手放してもいるという状態。

やってみればわかることだが、そう楽な状態ではない。

 

誰かを想う気持ち、期待。

そこに宿る強さは引力となって、相手の心を引き寄せられるかもしれない。

けれど、こちらの都合の良いようにコントロールしようとして

それが当座叶ったとしても、

本質のベクトルが異なる者同士の先には、いつしか分かれ道が見えてくる。

 

やれるだけのことはやってみる。

そしてその結果は、天の意志に任せる。

相手に期待せず、それでも最善を尽くす。

自分にできることはそれだけと諦観に至るまで、その都度大きな葛藤があるだろう。

 

情を交わした相手であったり、

時間をかけて理解を深めてきた相手であったりすればなおのこと、

期待はずれにならないことを願うのがふつうで、

その想いを手放すことは簡単ではないだろう。

 

それでも、

ひとの心は、ひとのもの。

こちらの思い通りにできるものではない。

 

恋とか愛とか、

もがき苦しむほど、そういうことに悩んだことがあるひとは、

誰にも相談できない悩みのひとつやふたつ抱えた経験があるだろう。

なんでも話せる相談相手がいれば心強いのかもしれない。

でも、

ひとりで悩む、というのが肝なんだろうと思う。

それができるひとは、その時間をとことん大切にするといい。

ひとりの時間が育んでくれるものには、しなやかな強度がある。

 

自分にしかわからない感覚

言葉では表現できない想い

初めて知る自分の一面、別の顔

もっとも複雑な関わりは、他の誰でもない自分自身との間で結ばれているのだということ

そんな自分を受け容れて生きていくということ

 

ひとの心は、ちょっとはわかるような気はしても、

掴み切れず、繋ぎとめることもできない。

自分自身との関係で見えてくるものと、似たようなところがある。

 

大なり小なり、そんな切なさを抱えて、それでも人と人とは繋がっている。

深い信頼が生まれることもあれば、裏切りという幕切れもある。

どんな過程からも、結果からも、学ぶことはある。

淡く儚く、ほんとうに私たちはイリュージョンの中に生きているのだなと感じる。