信念とスプーン
「信念って、曲げるものなんですか?」
何について話していた最中だったか、友人の口から「信念を曲げない人ですよね」とのコメントが。
それに対し咄嗟の反応で出た私の台詞がこれでした。
「そもそも、曲がるような考えは信念ではないのでは?」
「いや、世間は違う。信念を曲げて生きている人はたくさんいる」と続く。
どうやら「信念」には幅広い定義が存在するとしか思えません。
迷い、戸惑い、失敗を繰り返し、ようやく一歩進めたかと思えば次の壁にぶつかり立ちすくむ。
観客のいない独り芝居、それも大根役者が痛い芝居を好き勝手に演じているようなもので、
どうにも心許ない日々の連続。
自分では信念を貫いて生きている実感も自覚もないというのに、人に与える印象の不思議よ。
その曲がらぬ信念、果たしてどれだけの成果を上げてくれたことでしょう。
むしろ長いものに巻かれる能力に何度憧れたことか。
年を重ね、傷跡も増え、さすがに伝え方にこそ工夫は出てきたものの、
相変わらず "私だったら" と考えるし、伝える。
組織で働いていても、解せない理屈を丸飲みにできた記憶がない不遜な私には、
「上の言うことは絶対」という従順さは、ひとつの才能に思える。
組織で自分の居場所を安定化させるにはさまざまな能力を必要とする。
弱肉強食の世界。仕事ができることが一番かと思いきや、実は協調性や従順さがモノを言う。
いくつものNOに目をつぶりOKを出していく器用さや忍耐力がなければ、
求める安定には近づけない。
世間にはスプーンを曲げられる人がいます。
スプーンも信念も、私にとってはそもそも曲げるものではないのですが、
コツやタイミングを会得したら、私にも曲げられる日が訪れるでしょうか。
その世界は私にとって、どんな景色に映るでしょうか。
思考の整理が進まないまま眺める世界からは
「道なき道を行け」のメッセージが目に飛び込んできます。
くすくすと笑いながら見守られているような気がするこの頃です。