幸運、不運
人生、運の良し悪しは多少なりとも気になるところ。
運・不運なんて気にしないと言うおおらかな人でも、過去の経験の中で思い当たることが
いくつかはあるのではないでしょうか。
幸運は運勢の伸び、不運は運勢の低迷、といった表現があります。
では幸運が文字通り "良い" ことで、不運は "良くない" ことなのかというと、
そんなふうに一概には言えないようです。
ものごとがうまく運ばないと「何がいけないんだろう」と原因を探ることはあっても、
うまく運んでいるときは「何が良かったんだろう」と振り返ることは少ないように感じます。
不運を知らず、なんとなくラッキーな人生を歩めるのはある意味では幸せですが、
良くも悪くもそれがあたりまえになってしまい、感謝を忘れ、謙虚さを忘れると、
心の深みや広さが感じられない人間へとなっていきかねません。
必ずしも幸運がすべてではない、ひとは不運の中で学ぶことが多い、と言います。
算命学では「宿命的に "〇〇運が良くない"」という言い方をすることがありますが、
これは、その事柄において苦労をすることで自分の心の進化に必要な学びを得ることができる、
ということでもあります。
(そしてこれを踏まえて、人生のバランスを取るための改良方法を提案させていただくのが
算命学の特徴のひとつです)
光と陰はセット。
ひとは、陰を経験したことのない相手に、光を感じることはありません。
不運や不遇を経験し、それらを糧として歩みを進める姿に、
奥深さや味わいを感じるものではないでしょうか。
若い時は健康なんて人生にタダでくっついているあたりまえのものでしたが、
健康なだけでどれほどありがたいか、年々考えを改めています。
シンプルなことほど、あたりまえではなく、ありがたく受け取らせていただくもの、
感謝を忘れずに生きるうえでの基本を教えてくれているのでしょう。
健康という幸運に感謝して、そのほかの課題にチャレンジしていけたらと思います。