心象風景

* 算命学による宿命鑑定 *

おひとりおひとりの心に寄り添い、一歩前へ進むためのエッセンスをお伝えしています

別れ

 

人生を揺るがすような出来事は、いつもある日突然やってくる。

そうわかっていても、何かの間違いではないかと信じられなかった。

 

算命学の恩師、柳本美鈴先生が永眠された。

突然の報せだった。

 

6月に同窓会を予定していたものの、

坐骨神経痛が出てしまったので一旦取りやめを、

と先生からのお申し出を受け、ご快癒を祈っていた最中だった。

 

同窓会は、先生からのお声掛けがきっかけだった。

 

私が所属したクラスは、お世辞にも勉強熱心な門下生揃いとは言えなかった。

それでも一人も脱落者を出すことなく卒業の日を迎えられたことを、

先生は本当に喜んでくださった。

それ以来の再会となるはずだった。

 

寺子屋スタイルのお教室は先生のご自宅を開放したものであり、

少人数制ゆえの良さもあれば、窮屈さもあった。

偶然の廻りあわせで構成されたクラスだが、生徒間の年齢差は最大でも6歳。

同年代ゆえの競争心か、個々の性格ゆえか、打ち解けあい、和やかな雰囲気のスタートとはいかなかった。

私は年上のクラスメイトから、ものの捉え方などについて毎回のように「ご指導」を受け、

通い始めて2年目にはうんざりにも限界を迎えてしまった。

勉強しに来ているのに、なぜ先生ではなくクラスメイトから勉強以外のことで

過剰なまでに意見を浴びせ続けられなくてはいけないのか。

これが職場であれば、完全に闘っていた。年齢の序列など気にしなかった。

 

それでも、先生のご自宅で事を構えるような失礼だけはしたくなかった。

我慢に我慢を重ねていたが、そのクラスメイトがいない勉強会のある日、

先生の前で心情を吐露してしまった。このまま続けていく自信がないと。

 

先生は、

小手先でどうこうしようとせず、自然体でいなさい。

怒りたかったら、怒っていい。

年下だからと我慢して、自分を抑えなくていい。

言いたいことがあったら言いなさい。

と仰った。

 

私が置かれた状況に、同情も共感もしてくださっていた。

私のこころの内には「それなら、なぜその場で何も言ってくださらないのか」

そんな疑問と悔しさが湧きあがったが、すぐに自分の宿命星を思い出し、納得した。

これは、自分の力で乗り越えなくてはいけないのだ。

そういう星を私は持っているのだ。

だから先生は見守ることに徹してくださっているのだ。

 

翌月からの私は、先生のお言葉と眼差しを糧に、自然体でふるまうことができるようになっていった。

今からすれば、あれも必要な経験だったと心から思う。

先生とのこのエピソードも、どれだけ理不尽な思いで傷ついていたのかも、

かつて対立していた相手に伝えられるまでに、人間関係を深めることができた。

いまでも必要な時には協力し、支えあう絆を育むことができた。

 

算命学への取り組み度合いもさることながら、

先生からすれば礼儀作法において二言三言では気が済まないであろうほど

不遜な私たちクラスを、それでも先生は見捨てずにいてくださった。

熱心に算命学を進める方々は大勢いるであろうに、

同じように、お心にかけてくださった。

 

「このクラスは ...」と、呆れて先生はよく笑われた。 

多少の抑制の努力はしつつも、自由奔放さを隠しきることができないクラスだったせいか、

先生も、よそ行きではない、普段着の表情をさまざまに覗かせて下さっていたように思う。

 

お声のきれいな先生だった。

誰よりも女性らしく、まさに爪の先から...というおしゃれで、

ロマンティックなものやアンティークがお好きだった。

贈り物のお花も多かったが、亡くなられたお母様が好きだったからと

ご自身でもバラを大事に育てていらした。

季節の器においしい玉露を淹れて教室に出迎えて下さり、

休憩時間には旬の果物、お菓子を揃え、

私たちが想像以上に食べるせいで、追加で次々に出してくださっては、

このクラスはよく食べてくれると、笑っていらした。

 

お誕生日のささやかなお祝いや季節のご挨拶には、

後日、きまって丁寧なお礼状が届いた。

「いつも心にかけてくださってありがとう」

先生から発せられる言葉には、魂があった。

 

とても立派な、尊敬する先生だ。

複雑な算命学をわかりやすく教える頭の良さ。

優しく、情に厚く、勘が鋭く、きめ細やかな心配りは超一級だった。

それだけに、特に礼儀作法などのふるまいについては、人に求めるものも厳しかった。

でも、聖人でも完璧な善人でもなかった。

俗っぽいところも、どろどろしたところもあった。

好き嫌いもはっきりなさっていた。

対応に戸惑う、難しい一面もあった。

 

内心、先生に反発を覚えたことも一度や二度ではなかった。

そんなことは、先生にはきっとお見通しだったと思う。

それでも、先生は私たちの成長を信じ、寄り添ってくださった。

 

こんなにダメな私たちクラスの同窓会を提案してくださったと聞き、

最初は疑問だったが、電話で連絡を取らせていただいた際、

先生が本当に喜んでくださっているのがわかり、先生が望むマナーで、

ルールで、私ができることは全部やらせてもらおうと思った。

先生の前では、いつだって単純になってしまう自分を思い出した。

 

矢継ぎ早に、弾むように繰り出されるお話から、最近の先生のご状況が窺えた。

相変わらずお忙しいが、まもなく卒業生を送り出し、月2日は自由な日が持てること、

平日の鑑定も最近は回数を抑えていらっしゃること、お身体の具合。

 

その後、坐骨神経痛になってしまったので...との残念なお知らせの際も、

そのほかはどこも悪くないので、必ず連絡しますから、同窓会でお会いしましょうね、

と、楽しみになさっていると重ねて言われた。

息子さんの付き添いで病院に通われたこと、

信頼する整体院の先生が特別に往診してくださることになり、

必ず治しますと言われて心強く感じていること。

先生にお目にかかるのは緊張でもあるが、元気になられた近い将来の再会を心待ちにしていた。

 

世に広く知られてもおかしくない人だった。

算命学を継承するという役割を全うした、本当に立派な人だった。

最期も多くの人に囲まれ、たくさんの弔辞を捧げられても不思議ではなかった。

しかし、先生はそれを選ばれなかった。

 

おしゃれで華やかな装いに身を包んでも、その生活はつつましいものだった。

ご相談者はもとより、門を叩いた多くの方の心の支えとなられたが、

派手な交流もなければ、宣伝もしなかった。

実力があればこそ、を、最期まで、これでもかと見せつけてくださった。

 

同じ授業に出ていても、それぞれの心に宿ったものは違うだろう。

それが算命学の教えにとどまらないことだけは、たしかだと思う。

 

非凡な、まさに二人といない方だった。

語りつくせぬ、魅力溢れる方だった。

 

先生、

哀しみは、他の誰かとある程度共有することはできても、

寂しさは独りで抱えていくよりほかないのですね。

 

この喪失を埋めるものはない。

けれど、いつまでも腑抜けのままで時を刻むことは許されない。

埋められない喪失を抱えて生きていくことも、人生の一つの側面だ。

 

これからは、折々に、心の中で語りかけさせてください、柳本先生。